あめのおと

「もちろんそうですよ」といわんばかりに、しとしと雨降りから始まった、梅雨入り最初の月曜日。

娘の学校では、月に一編の詩を暗唱する。
6月の詩は雨にまつわるもので、これがとても良かった。

 

いろんな おとの あめ 岸田衿子

はっぱにあたって ぴとん
まどにあたって ぱちん
かさにあたって ぱらん
ほっぺにあたって ぷちん
てのひらのなかに ぽとん
こいぬのはなに ぴこん
こねこのしっぽに しゅるん
かえるのせなかに ぴたん
すみれのはなに しとん
くるまのやねに とてん

あめ あめ あめ あめ
いろんなおとのあめ

 

何度も何度もくり返し読む娘のとなりで、朝からの雨模様をおもって、ゆううつだった気持ちが、すこし晴れやかになった。オノマトペの陽気なリズム。

大人は梅雨をうとましく思ってしまうけれど、なんて素直で、なんて豊かな詩なんだろう。

詩、とくに子どもと楽しめる内容の詩は、音読してこそ価値があると思う。絵本も同じで、声に出して読むのと、黙読するのとでは10000倍くらい、つまりは比にならないくらい! しみ込み方も受け取り方も違ってくると思っている。

それに気づいたのは、娘が2歳をすぎたころで、寝かしつけのために同じ本を繰り返し読んでいたときのこと。(おっぱいを卒業してから、寝入るまで、同じ本を念仏のように読み続け、「寝たかな…」と本を閉じると「読んで」と言われるのを繰り返す、修行のような日々だった)

エリック・カールの「くまさん くまさん なにみてるの?」がそれで、大げさだけど、私の中で雷に打たれたような衝撃が走った。(そう、イメージは『奇跡の人』の北島マヤです。ガラスの仮面です、ヘレンです)

十数回、もしかしたら20〜30回目くらいの読み聞かせをしながら、わたしは布団の中でぽろぽろと泣いたのだった。

理由を考えれば考えるほど、言葉にすればするほど、なんとなく陳腐なことしか並べられないのがもどかしいけれど、頭ではなく心で読む、みたいなことだったのかな。

まだまだたくさん、親子で一緒に、声に出して読みたい絵本がある。子どもたちのためではなく、私の心の栄養のために。

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