東京に来てからもずっと東京を目指している
30歳で、大阪から東京に出てきた。大阪で育ったわたしは、そのまま進学も就職も転職も結婚もした。
だから東京はハレの地であり、すべての頂点みたいな場所だ。読んでいる雑誌、そこに載っている服や雑貨、どれも東京でつくられ、売られているものばかりだったから。
東京に来たからには、東京らしくあらねばならない。わたしは東京にあこがれ、東京を目指し続けてきた。
有名なひとを取材し、有名な雑誌で紹介する。流行りを知り、かわいいもの、おいしいもの、珍しいものの情報に富み、それをひととは違うユニークな切り口で、いち早く提案する。たくさんの人に好かれ、注目され、支持され、フォローされ。たくさん働いて、たくさん稼いで、たくさんおしゃれをして、移動はもちろんタクシーだ。話題の、しかし渋谷のユーロスペースでしか上映していないような映画に詳しく、アートも音楽も長けている。大量の情報と人とのつながり、大小押し寄せるどんな波も、ざぶざぶ自在に乗りこなす。
きっとそれこそが東京においての「正解」なのだ。だって、周囲はそんなひとばかりだ。そしてわたしはいつまでたっても、そこには追いつけなかった。いまだにタクシーで移動することなど、滅多にない。
仮に仕事で、どんなに満足のいく記事を書いたとしても、長く、広くは読まれない。雑誌もウェブもあっという間に次の記事がかぶさって、書いたものは消え去る。次から次へと仕事をしなくては、かき消されていく。水を掻くのをやめたら、わたしなんてあっという間に溺れてしまうだろう。東京に。
だから東京を目指すのだ。もっとたくさん、より多く、速く、早く、はやく。
溺れないように、わたしが消えてしまわないように。
走れ、泳げ、手を休めるな。「わたしは、ここにいます」と、声を張り上げ続けるのだ。それがきっと、東京で生きていくということなのだ。
でも、わたしはそれができなかった。ちっともなじめないし、東京はいつまで経っても、あこがれの東京のままだ。渋谷も新宿も、ひとりで歩けないとまごまごしているうちにどんどん再開発が進み、いまじゃ修学旅行生の方がわたしより堂々と歩いている。
自分のペースでたゆたいたい気持ちと、沈んではならないという焦り。あるとき、そんな気持ちを先輩の同業者に話したことがある。そのひとは、東京に暮らしながら、世の中に流されず、きちんと自分の目で見た、美しいと思うものだけを書いて暮らしている。少なくとも、わたしにはそう見えた。いつも真摯なことばで紡ぐ、そのひとの書くものが好きだった。だからこそ、どうやって暮らしているのかも、続けていけるのかも不思議でならなかった。
わたしの支離滅裂でひとりよがりで、子どもじみた愚痴と悩みがごちゃまぜになった話をひと通り聞いてくれたあと、そのひとははっきりと、「そのままでいい」と言った。目立たなくていいし、大きな仕事でなくてもいい。その場所で、自分のできること、やりたいことをやっていく。そういうひとも必要なのです、と。
東京に来て、15年目のことだった。
もうとっくに、自分が目指すのは東京じゃないと気づいていた。でも、気づかないふりをしていた。しかし外れてしまえば、なんのこっちゃない。そんなひとは他にもいるし、いろいろな生き方がある。だって、るつぼのような東京だ。いい意味で、やりたいことを自由にやっていても注目されず、好きでいられるのもまた、東京のいいところかもしれない。
東京は特別な街だ。それは変わらない。地方回帰とも言われる昨今だけれど、やっぱり東京は、東京なのだと思う。
わたしは東京が好きだし、これからもきっと好きだ。いまもあこがれ続けている。でも、もう東京は目指していない。あこがれは、あこがれのままとっておく。