概念としてのいちご大福

いちご大福が黒だと、がっかりしてしまう。黒というのはあんの色で、あんはたいてい黒である(高級なあんは紫がかっているとかそういうのは一旦置いておく)。御座候の回転焼も木村屋のあんパンも白は選ばない。でも、いちご大福はどうしたって白に限る。

普段ならたっぷりがうれしいあんこだけれど、いちご大福では薄くまとうくらいがいい。そこをさらに、薄い餅がやさしくくるむ。いちごと白あんと餅が、ちゃんとひとまとまりで口に飛び込んでくる。餅とあん、白の重なりの向こう側に、秘めたる赤がほんのりと透ける。白い肌がぽおっと上気したみたいに、生き物の風情をまとっている。

いちご大福は、宝泉がいい。

大阪・堺にある和菓子屋の宝泉は、南海線の堺東駅からJR堺市駅側に少し歩いたところにある。小学校で配られる紅白まんじゅう、いただきものの和菓子、求肥が入った若鮎、そしていちご大福。すべては宝泉だった。

小学生のころ、はじめていちご大福というものを食べた。餅とあんのバランスが絶妙で、さっぱりと、いくつでも食べられそうな大福。衝撃だった。断面の赤と白に惚れ惚れし、白あんのおいしさに気づいた。やわらかく、甘く、みずみずしく、なんと美しいお菓子だろうと思った。

だからいまだによそのいちご大福を食べると、かならず「ああ、宝泉がいちばんおいしい」と思うし、それが黒あんだったときには「やっぱり宝泉でなければ」と思う。

いちご大福のおいしさに目覚めてどのくらいたった頃だったか。母が、どこかで見つけたレシピを頼りに、いちご大福を作ってくれたことがある。いちごのヘタを取り、水分をよく拭いてから、うすく貼りつけるようにあんをまとわせる。使うのはもちろん、白あんである。

そのあいだに、餅粉(白玉粉だったのかもしれない)に水を加え、練ってレンジにかけ、また練ってを繰り返して餅をつくる。その餅を熱いうちに薄く伸ばし、いちごを包んだあんこ玉を中心に入れ、包み込む。簡単なようで難しく、なかなかうまくいかない。まんべんなく、あんでいちごを包みたいのに、あちらからこちらから、赤い肌がべろんと顔を出す。餅も、薄く伸ばせば伸ばすほど、打粉をついつい足してしまい、舌触りの悪いパサパサ状態になる。あんも餅もたっぷり使えば簡単で見た目もきれいだけれど、理想の味には程遠い。いちごは大き過ぎても小さ過ぎてもだめで、ときおり薄い餅の奥に、うっすらといちごの赤が見えるとにんまりした。基準はすべて、宝泉だ。

これを書くのにすこし調べてみたら、変わらず同じ場所で営業しているようだ。わたしの知る限りでは堺の名店に挙がるでもなく、知っているひとに出会ったこともない。知名度でいえば小島屋のけし餅や、かん袋のくるみ餅だろう。それでいい。わたしにとっては、堺といえば宝泉、いちご大福といえば宝泉だ。

もう一度食べたいけれど、もはやわたしのなかでは想像が現実を超えているかもしれず、大人になったいま口にするのは、ほんの少しこわい。しかし、味なんて多くが事実より記憶なのかもしれない。そもそも、わたしがリアルに思い出すのは、家の狭いキッチンで四苦八苦して母と作った、不恰好ないちご大福なのだ。くちびるに触れる、少し乾いた粉っぽい餅の感覚、いちごと粉が混じり合う独特のにおい。白あんの甘さを追う、いちごのシュワッとした酸味。小分けしたアルミカップのカサカサとした音。

それなのに、いまもずっと「宝泉のいちご大福」という概念だけが、わたしの中で永遠に膨れ上がり続けている。

by
関連記事