小さい人がいる

息子が何度言っても手づかみでものを食べる。箸は保育園の頃から上手に使えるし、小学校でもそれなりに行儀よく食べているようだから、特に気に病むことはないのだと思う。それに、まだ一年生だ。

それでもつい、「手でやめて」と言ってしまうのだけれど、そういうとき、わたしのなかに小さい愛子さんがトコトコやってきて「あら手で食べるのね」と言う。愛子さんは、横浜市にある自主保育園「りんごの木」の柴田愛子さんだ。

愛子さんのことばに、わたしは、あ、と立ち止まって「たぶん手づかみで食べるまま大人になった人はいないしな」と思い直す。

息子が宿題をしないとか、特に音読の宿題を面倒がるとかいうときにも、小さい愛子さんはやってくる。愛子さんは「毎日毎日、おんなじものを読むなんて退屈よねえ」と言い、わたしは、「そうですよねえ」と同意する。そして息子に「ほんなら、ちゃうもん読んだら?」と言ってみるのだけれど、しかし息子は、そんなの嫌だと言っておとなしく宿題の「おおきなかぶ」を、うんとこしょどっこいしょと読み始めるのだった。

くよくよ悩んでいるときは、小さい高尾美穂さんが「たいていのことはなんとかなる」と笑い飛ばしてくれるし、原稿が仕上がると6年生のときの担任だった小さい木村先生が「本気で、全力で書いたのか」と、じっと見つめてくる。

食卓に並ぶおかずの少なさに後ろめたさを覚えているときに現れる「一汁一菜でええんです」という小さい土井善晴先生は、おそらく多くの人の中にいるだろう。最近は、小さい大原千鶴さんも加勢し「あるもんでええんよ」と、背筋をピンと伸ばして微笑んでいる。

小さい人の存在は、とてもありがたい。わたしの力ではどうにもならないことを、ひょいと飛び越えさせてくれたり、気持ちを楽にしてくれたりする。

ただし注意したいのは、自分の中に入れるのは絶対の信頼をおける人に限る。誰も彼も入れてしまっては、わたしの中にいる「わたし」が居場所を失ってしまうから。願わくば、運動好きの小さい人も仲間入りさせたいのだけれど、どうもうまく住み着いてくれない。チョコレートを食べ過ぎたときに、厳しくも温かく諭してくれる人もほしいのだけれど。

そんなことばかり考えていると、小さい木村先生がまたやってきて、無言で「集中力」と黒板に大きく書いた。

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