孤独を味わい尽くすために

しばらく軸足をnoteに置き、がんばろうとしていたけれど、ここに戻ってくることにした。

noteは、とても便利で楽しいプラットフォームだと思う。たくさんのことばが日々飛び交い、そこからきらぼしのごとく、とびきりの輝きが放たれる。エッセイに小説、詩歌などジャンルもさまざまに、アマチュアもプロも同じ枠組みのなかで隣り合って並ぶことができるのは、よく考えればすごいことだろう。

執筆画面もよく考えられていて、パッとひらけばすぐに書き始められる。毎日書けば褒められ、週に一度であっても、「2週連続です!」と言ってもらえる。月に一度だとしても同様だし、「今日書けば◯◯連続記録です!」なんてメッセージも投げかけてくれる。

でも、あるときふと考えてしまった。これは、たくさん書くことを「よし」としている世界なのかもしれない。だってnoteは、書けば書くほど褒めてくれるし、それを盛り上げるシステムがたくさんなのだ。

これはあくまでもわたしの場合だけれど、たくさんのひとに「好かれる」文章でないといけないと思い込んでしまうのも、よろしくなかった。「スキ」のシステム(いいね、のようなもの)は、数が多ければ周囲からも「よい記事」だと認められるような、ハートの数には、文章の良さに比例すると思わせる力がある。実際、わたしだって少ないより多いほうが、うんとうれしいし、「おっ、この記事はこんなにたくさんスキがついているからきっといい記事に違いない」という目でタイトルをクリックする。目に見える数がすべてではないと、頭ではじゅうぶん理解しているけれど、それでもやっぱり、目に見えてしまうものにはパワーがある。

結果、楽しんで好きなことを書くよりも先に、ひと目を気にしてがんばる気持ちが立ってしまったのだろう(何度も繰り返すけれど、これはわたしの場合であって、気にせず楽しくやっているひとの方が多いのだと思う)。

詰まるところわたしは、外に開いていくよりも、内に向かって考えるほうが好きなのだと思う。いろいろなひとの声を聞くのを楽しむ時期を経て、ひとりでじっくり考えたいのが、いまのタイミングなのかもしれない。

だからわたしは、ここに戻ってきた。

ひとりで書いていると、これでいいのか、誰が読んでいるのか、暗闇でぽつねんとなるものだ。それでも一度、たくさんひとがいる場所から離れて好きなようにやってみようと思う。ひとりの良さを孤独ではなく自由に変えて、自分の真ん中を貫くように味わい尽くしてみたいのだ。

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