行き当たりばったり

「あとは、なにか起こったらそのとき考えましょう。行き当たりばったりでね」

カウンセリングで、答えの出ない、迷いのようなもやもやとした話を聞いてもらった。未来の話だ。誰にも正解はわからない。でも、子どものために、将来のためにと、できるだけ最善を尽くしたいし、現時点での確かな答えがほしい。つい、そう思ってしまうわたしがいる。

「こうしようと思っている、でもそれでいんだろうか」。ぐるぐるしているわたしの話をひと通りを聞いたあと、心理士の先生は「お母さんのいまのやりかたで大丈夫です」と言ったうえで、冒頭のことばをくれたのだった。

行き当たりばったり。わたしがいちばん苦手とする、でも憧れみたいな気持ちを寄せることばだなあと思う。

一緒にいた娘に「さっきの先生のことば、よかったね。『行き当たりばったり』っていうの」と伝えると、なんでそんなこと?というような顔をして「わたしはいつだって行き当たりばったりだけどね」と言った。「だって、考えたって一緒じゃん? いままでなんとかならなかったようなことなんてある? ないじゃん!」
うちの子は長靴下のピッピとまる子とカツオを足して割ったような性格をしている。ああまったく、なんとうらやましいことか。

「起こりもしないことを想像して泣いてみたり」と歌ったのはYUKIちゃんで、「心配ごとの90%は起こらない」みたいなことも、どこかの大学の偉い人が言っていた。起こらないはずの心配ごとを想像して(ときに創造もして)、石橋を叩いて叩いて叩き壊す性格のわたしは、ひょいひょいと橋を渡っていく人をたくさん見送ってきた。崩れた橋のこちら側で、恨めしく向こう岸を見つめる。このままいくと、三途の川すら渡りそびれてしまうかもしれない。

三途の川は、橋ではなく渡し船だったようにも思うけれど、とにかく、行き当たりばったりである。そういえば取材も、行き当たりばったりが意外とうまくいく。いや、下準備や心づもりは重ねていくに越したことはないのは大前提として、聞きたい話やトピックを挙げすぎると、自分の企画書を超えるものは生まれない。取材はたいてい、テーマから外れて、どんどん話が転がっていったあたりから面白くなるし、想像もしなかった景色が見える。

わたしの未来も、子どもの未来も、想定通りではきっとつまらない。わたしが知らない世界に辿り着くためにも、「行き当たりばったり」。これでいってみようじゃないか。

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